大阪高等裁判所 昭和41年(ネ)965号 判決 1971年2月24日
控訴人
亡北村利次訴訟承継人
北村カネ子
外五名
代理人
山田利夫
五味良雄
被控訴人
山内能子
外一名
代理人
樫本信雄
浜本恒哉
主文
一、原判決中控訴人ら敗訴部分を次のとおり変更する。
(一)控訴人らと被控訴人山内能子との間で、控訴人らが原判決添付別紙第一目録記載三の土地(分筆および所在町名改称後の現在の登記簿の表示に従えば「柏原市大正一丁目六一二番の六、宅地九〇坪」)につき、建物所有を目的とする賃貸借期間の定めのない賃借権を有することを確認する。
(二)被控訴人山内能子は控訴人らに対し、同目録記載三の土地を引渡せ。
(三)被控訴人らは各自
(1)控訴人北村カネ子に対し三三三、三三三円
(2)その余の控訴人らに対しそれぞれ一三三、三三三円
(3)および右各金員に対する昭和三八年三月二八日以降右支払済みに至るまで年五分の割合による金員
を支払え。
(四)控訴人らのその余の請求を棄却する。
二、訴訟費用は第一、二審を通じ、これを五分し、その一を控訴人らの、その四を被控訴人らの連帯負担とする。
三、この判決は
(1)控訴人らにおいて連帯して五〇万円の担保を供するときは第一項(二)の土地引渡につき、
(2)控訴人北村カネ子において一〇万円、その余の各控訴人において各四万円の担保を供するときは第一項の金員支払につき
それぞれ仮に執行することができる。
事実
控訴代理人は、
一、原判決中控訴人ら敗訴部分を取消す。
二、主文一の(一)同旨
三、主文一の(二)同旨
四、被控訴人らは各自
(1)控訴人北村カネ子に対し、一、六六六、六六六円
(2)その余の控訴人らに対し、それぞれ六六六、六六六円
(3)および右各金員に対する昭和三八年三月二八日以降右支払済みに至るまで年五分の割合による金員
を支払え。
五、訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
との判決ならびに右土地引渡、金員支払の部分につき仮執行の宣言を求め、
被控訴代理人は、
控訴人らの控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人らの負担とする。
との判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張および証拠関係<省略>
理由
一(本件土地の地番について)<省略>
二(本件土地の賃借関係、本件建物取り壊しのいきさつについて)
<証拠>を総合すると次の事実が認められる。
大正一三年ころ、大阪府柏原郡、柏原郵便局後援会なるものが、被控訴人山内能子の父、山内定次郎より本件土地を賃借し、これに隣接する本件土地、を他より賃借し、同地上に本件建物を建築し、柏原郵便局長であつた北村奈良治郎(原告利次の父)が右建物を右後援会より賃借して、同年一一月二六日より柏原郵便局庁舎兼自宅として使用して来ていたところ、昭和一二年一一月一一日右郵便局が三等郵便局より二等郵便局に昇格し、自宅と局庁舎との併用ができなくなつたので住居を他に移転した。その際建物は当時既に同郵便局長となつていた原告利次が右後援会より買受け、以後は同人がこれを大阪逓信局に局庁舎として賃貸し、一方本件土地の賃貸借関係における借主の地位は右後援会より原告利次に承継され、以後は原告利次が地主である被控訴人山内能子(能子は昭和八年一二月一日右山内定次郎より所有権の移転を受けていた。このことは当事者間に争いがない)に地代を支払い、昭和三七年二月分まで異議なく受領されて来た。
一方本件建物の借主は昭和二四年ころ大阪逓信局より日本電信電話公社に変り、柏原電報電話局庁舎として使用されて来ていたが、その間ほとんど一年置き位の割で家主承諾のもとに借主の費用負担で内部の改造修理が行われて来ていた。昭和三六年一〇月末柏原電報電話局の新庁舎ができたので、本件建物の賃貸借契約は合意解除され、原告利次は本件建物の返還を受けた。本件建物は最初は附属建物を含め四八坪九合七勺であつたが、返還を受けたときはその間の増改築のため面積が殖え、主たる建物七一坪二合三勺、附属建物八坪二合となつていた。
原告利次は、返還後における本件建物の利用方法として、他より二、三売却方の申出もあつたが、結局安部良広に賃貸することとなつた。本件建物は元、郵便局庁舎で棟の高さが普通の家屋の二階建の高さがあるので、安部はこれを二階建のアパートに改造して、アパートを経営する計画で、原告利次もこれに同意し、前記のとおり従来、郵便局ないし電報電話局庁舎の時代借主側の費用負担のもとに改造、修理がなされて来ていたのと同様、右アパートの改造も、費用は借主である安部の負担とすることとした。賃貸に当り公正証書(甲第七号証)を作成したが、右証書の賃貸条項の中には不動文字で印刷した第六条に「賃借人は賃貸人の書面上の同意がなければ左に列記する行為をしてはならない」と記載され、その第五号に「賃借物件の改築、増築、修理その他の物件の原状に変更を生ずるような造作加工すること」という項目があるが、本件賃貸借は賃借人の安部がアパートに改造してアパートを経営することが始めから賃貸借の条件であつたので、改造同意の書面は作成されなかつたが、改造することは原告利次も同意していた。ただ改造の規模、内容等については、できるだけ旧建物の材料を使用するという程度の話合があつただけで、それ以上の具体的話合はなかつた。原告利次が電々公社に賃貸していたときの最終賃料は二五、〇〇〇円であつたが、電々公社へ賃貸の場合の賃料は一般の民間人に賃貸する場合より安いのが普通であるので、安部に賃貸するに際しての賃料は一ケ月三五、〇〇〇円とし、敷金は本件建物を売るとすれば五、六百万円という値が出ていたことを考慮して一〇〇万円と定めた。安部としてもアパート経営による収入が毎月三、四十万円入れば、右の様な賃貸条件でも引き合うという計算であつた。
安部は大構建設株式会社に五〇〇万円で本件建物をアパートに改造する工事を請負わせ、同会社はこれを四五〇万円で昭和建設こと山根常雄に下請させた。昭和建設は昭和三七年二月末ごろより改造工事にとりかかつた。まず屋根瓦をおろし、周囲の壁をとり、間仕切も細かく変るので古い柱で利用できるもの、約三分の一はこれを利用し、新しくかえるものはかえ、二階になるところは柱が中途半端になるので柱を途中から切り、梁を入れて、二階の柱も建て終り、明日上棟式をするというところまで行つた。
一方右の様な改造工事の行われているのを知つた被控訴人両名は息子の一晃を交え、三人で相談の結果、地主の意思に反して前の建物をとりこわして新しい建物がどんどん建てられると、これが既成事実となつて裁判で争つても何年もかかり地主には耐えられないことであるので、建築の続行を実力で阻止しようということになり、まず、同年三月七日夜、株式会社長尾組に請負わせて右建物の周囲に鉄条網を張り廻らさせ、地主山内名義の立入禁止の立札を立てた。控訴人山内能子は同年同月九日柏原郵便局長証明の内容証明郵便で原告利次宛に本件土地の賃貸借契約を解除する旨の同年同月七日付書面を出した(但し鉄条網を張り廻らしたこと、契約解除の内容証明郵便を出したことは当事者間に争いがない)。
大構建設株式会社は昭和建設に右改築工事を下請させるに当り、着手金五〇万円を支払い、約束手形六枚(額面合計二五〇万円)を振出交付していたので、鉄条網を張り廻らされて工事続行できなくなり、差し当つての直接の被害者である大構建設株式会社の工事課長松村清は間に入つて斡旋にのり出し、「山内が安部と北村間の本件建物賃貸借契約の賃借人の地位を引きつぐ。併せて本件土地を原告利次より賃借する(当時本件土地は原告利次が買受けて同人の所有となつていた)。安部と大構構建設株式会社間のアパート改築工事の請負契約の安部の地位も引きつぐ。但し請負金額は三〇万円減額して四七〇万円とする。山内は安部に一三〇万円を支払う」という案で関係者の間を折衝し、安部はこれを了承し、山内が安部に払う一三〇万円は山内の方で全額即金はできないというので、現金二〇万円で、後は約束手形で渡すということになつたが、山内は約束の日に二〇万円が用意できず、更に一日延したが、翌日控訴人山内茂より松村に今までの話はなかつたことにしてくれと断つて来た。原告利次も本件建物ならびに本件土地を山内に貸すことを断わり、松村の斡旋は実らなかつた。そして被控訴人らは前記株式会社長尾組に請負せて、同年四月八日より数日かかつて前記改築途上の建物を全部とりこわし、なお東南隅(甲第二〇号証の八、九の供述記載中「西南隅」とあるのは、甲第五号証の図面に記載の方位と対照するとき「東南隅」の誤りと解する)にあつた別棟の脱衣室、風呂場等の建物は主屋とちがつて、まだ屋根瓦も棟もちやんとある建物であつたのを一緒に壊してしまい、材料は全部運び去つてしまつた(但し本件地上建物を取り壊したことは当事者間に争いがない)。
以上の事実が認られる。<反証排斥>
三(本件土地の賃貸借関係の現在の存否について)
(一) 前記認定のとおり本件建物を柏原郵便局庁舎として使用開始したのが大正一三年一一月二六日であるので、建築に要したであろう日数を差し引いて逆算すると本件土地の賃貸借の始期は控訴人らの主張どおり大正一三年八月ごろと認められる。したがつて本件土地の賃貸借の存続期間は借地法一七条により大正一三年八月一日より起算し、二〇年間と法定され第一回の賃貸借期間満了の日は昭和一九年七月末となるところ、前記認定のとおり、その後も土地の使用継続され、異議なく賃料の授受がなされて来たので借地法六条により同一条件で更新したものとみなされ、第二回目の賃貸借期間満了の日は三九年七月末になるわけである。右認定のとおり被控訴人らにおいて昭和三七年四月八日ごろ本件建物を取り壊したので、昭和三九年七月末当時においては地上建物は存続しなかつたわけではあるが、地主である被控訴人らが故意に取り壊した場合は朽廃とは言えず、原告利次は昭和三八年三月七日被控訴人山内能子を相手取り、本件土地についての賃借権存続確認請求を含む本件訴訟を提起し、以来右請求を維持継続して来ているので、右は第二回の賃貸借期間満了日である昭和三九年七月末に借地法四条の更新請求があつたものとみるのが相当であり、前記認定のとおりの建物の経過年数、一年置き位に修理が行われて、昭和三七年一〇月まで電報電話局庁舎として使用されていた事実より、昭和三九年七月末の時点では未だ朽廃することなく存続したであろうことは優に推定されるところであるので、更に同一条件で更新されたものとみなすべきである。
もつとも、右更新されたものとみなされて以後当審における本件口頭弁論終結時までの間に本件建物が朽廃したであろうということが認められるならば、推定される朽廃の時点において借地権は消滅したものというべきであるが、被控訴人らよりその様な主張、立証はないので、現在も控訴人らは被控訴人山内能子に対し、従来と同じ条件の賃借権を有するものというべきである。
(二) <省略>
四(本件土地の占有者について)
被控訴人山内能子の抗弁三について。
なるほど<証拠>によると、本件土地は昭和三七年三月三一日受付、同年同月二八日売買を原因として山内能子より山内一晃に所有権移転登記、昭和三九年六月二七日受付、同年同月一九日売買を原因として岡田彰に所有権移転登記がなされており、原審証人山内一晃は「昭和三七年四月一日母親の山内能子から譲り受けた」旨証言しているけれども、前記登記原因の売買の日昭和三七年三月二八日は前記鉄条網を張り廻らした日より間もなくであること、右の時期に本件土地を母から子に真に売る必要があつたことが認められる資料はないこと、原審証人山内一晃の証言により認められるとおり、後記認定の原告利次より被控訴人山内能子を被申請人とする現状の仮処分決定が執行されたのに対し、山内一晃は執行官に対し、内容証明郵便で、「所有者も違うし、地番も違うから公示の立札を取りのけてほしい」と申出ていることを総合すると、右山内能子より一晃への売買による所有権移転なるものは、法的手続によることなく、私的実力により鉄条網を張り廻らしたり、建物を取り壊したりした場合、相手方から仮処分等の司法上の救済を求める手続がとられることあるを慮り、その場合に備えて抜け道を作つておくために工作した仮装の売買とみるのが相当である。したがつて本件建物をとりこわした時点における本件土地の所有者は依然被控訴人山内能子である。同人は自分の土地の所有権を守るためという理由のもとに、法的手続によることなく、実力で原告利次所有の本件建物を取り壊し、建物を所有することによりその敷地を占有していた原告利次の占有を侵奪したもので、侵奪者は被控訴人山内能子というべきである。
<証拠>によると次の事実が認められる。原告利次は昭和三七年四月一七日大阪地方裁判所より被控訴人山内能子を被申請人とする左記内容の仮処分決定をえ、決定正本はその頃被控訴人山内能子方に送達され、原告利次の委任した執行吏は同月一八日現場に臨んで、右決定を執行した。右仮処分決定の内容は
「本件土地について被申請人の占有をといて申請人が委任する執行吏に保管させる。執行吏は被申請人の申請があつたときは被申請人が右物件の現状を変更しないことを条件として被申請人が使用しているままで保管することができる。
右の場合に執行吏はその保管していることを表示するために適当な方法をとらねばならぬ。
被申請人は右物件の占有の移転その他一切の処分をしてはならぬ。
被申請人は右土地上に建物若くは工作物を建築設置してはならない」
というものである。その後執行吏は申請人の点検申請に基づき昭和四〇年三月二九日前記仮処分の現場に臨んだところ、先に仮処分執行の際設置した公示板がなくなつていたので、再度前記仮処分の要旨を記載した公示板を設置した。
以上の事実が認められる。したがつて右仮処分決定の効力として被控訴人山内能子がその後本件土地を第三者に譲渡し、占有を移転したとしても、それは右仮処分決定の申請人である原告利次、その承継人である控訴人らには対抗できないものと言わねばならず、控訴人らに対する関係においては侵奪後の占有者は依然控訴人山内能子というべきである。
五(原告利次の受けた損害ならびにその賠償義務について)
被控訴人らは前記のとおり共謀のうえ、原告利次所有の本件建物を取り壊したのであるから、これによる損害を原告利次の相続人である控訴人ら(控訴人ら主張一の相続関係は当事者間に争いがない)に賠償する義務がある。
そこで右損害額につき考えるに、前記認定のとおり、安部が大構建設株式会社に五〇〇万円で改築を請負わせたのであるから、被控訴人らによる取り壊しがなかつたなら、改築完成後は少なくとも五〇〇万円以上の価値ある建物を所有しえた筈であることをも考えると、原告利次の受けた損害は、被控訴人らが取り壊した時の状態が前記認定のような棟上げ前の柱が立つている状態だからと言つて、柱だけの状態の価格というのは不相当であつて、少なくとも改築着手前の本件建物の価格が原告利次の蒙つた損害というべきである。
<証拠>を総合すると原告利次が電々公社から本件建物の返還を受けた前後ころ、売つてくれというものが二、三あり、五〇〇万円ないし五百六、七十万円という値段がつけられていたこと、但し右金額は土地の賃借権価格をも含んだ値段であること、したがつて本件建物だけの価格は一〇〇万円くらいであることが認められる。
よつて被控訴人両名は連帯して右一〇〇万円を被控訴人らに対し、その相続分に応じて按分した金額、すなわち原告利次の妻である控訴人北村カネ子には三分の一の三三三、三三三円を、子であるその余の各控訴人には三分の二の五分の一宛に当る一三三、三三三円を支払う義務がある。
六(結論)
以上のとおり原判決において原告利次が敗訴した部分における控訴人らの本訴請求中、
(一) 被控訴人山内能子との関係で賃借権の確認を求める部分
(二) 被控訴人山内能子に対し本件土地の引渡を求める部分
(三) 被控訴人らに対し金員の支払を求める部分中、被控訴人両名に連帯して、
(イ) 控訴人北村カネ子に対し三三三、三三三円、
(ロ) その余の控訴人らに対しそれぞれ一三三、三三三円
(ハ) および右各金員に対する本件訴状が被控訴人に送達された日の翌日であること記録上明らかな昭和三八年三月二八日以降右支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金
の支払を求める部分
はその理由があるのでこれを認容すべきであるが、その余の部分は失当として棄却すべきである。よつてこれと結論を異にする原判決の原告利次敗訴部分を右の限度において変更し、訴訟費用の負担、仮執行の宣言につきそれぞれ民訴法九六条、八九条、九二条、九三条、一九六条を適用し、主文のとおり判決する。(入江菊之助 中村三郎 道下徹)